私の「かわいい」について その2 今後の日本のあり方と女性の社会進出の意義

皆様、こんにちは。
前回の続きで、今回も私の「かわいい」についての考えを書いて行きたいと思います。
ちなみに今回は、少し長いので、お茶を飲みながら読んでいただければと思っております。
ドーゾ ( -ω-) _旦

まず前回も書きましたが、私個人の「かわいい」の解釈は、
“自然と笑顔になり、「きゅん!」とした幸福感が感じられる言葉”というような感じで捉えています。
まぁ平たく言えば「かわいい」は、「幸せな気持ちにしてくれる表現」ということになります。

そこで前回は、なぜ私がこのように考えているのか、
そしてこれは私だけの属人的な感性ではないが、
現時点でそれを論理的に説明することはできない。
しかし最近見たテレビ番組によって、合点が行ったというところまで書きました。

今回は、その合点が行ったという番組の内容を4つの要点に絞り、
それに対して私のコメントを書いていくという感じで書いて行きたいと思います。
4つの要点は以下になります。

①外国人と日本の女の子は「カワイイ」をどう捉えているのか?

②「カワイイ」の辞書的意味

③女性の社会進出により「カワイイ」が変貌

④カワイイとは?(結論)

①外国人と日本の女の子は「カワイイ」をどう捉えているのか?

皆さんもご存知の通りジャパンポップカルチャーは、
海外の10代~20代の若者を中心に世界のあちこちで共感され、
熱狂的なファンが急増している状況です。
その影響により「カワイイ」という言葉も現在では世界共通語になっており、
あの由緒正しいオックスフォード英語辞典にも採用されているぐらいです。

そういった背景からその番組では、
「カワイイ(kawaii)」を外国人と日本の女の子ではどのように捉えているかをインタビューしており、
それをまとめると以下のようなります。

外国人

  • カワイイはcuteを超越し、そして新しい。
  • カワイイはおとぎの国の言葉。
  • カワイイは純粋、cuteとは全然違う。

これを見ますと「カワイイ」はよく「cute」と訳されるみたいですが、
外国人たちは「カワイイ」と「cute」では違った言葉として認識しているようです。

ちなみに私は、あまり英語が得意な方ではないですが、
「cute」は幼いモノに対して使うみたいで、
成人女性にcuteを使うと「失礼しちゃうわ!」とプンプン丸になってしまうようです。
⇒成人女性には、beautiful

日本の女の子

  • カワイイは私の生き方。カワイイで死にたい。
  • カワイイは「きゅん!」とする。ココロが奮える。
  • カワイイは「わぁぁぁ♡」ってなるやつ。
  • カワイイは自己表現。

これをみると、「生き方や自己表現」「胸が高鳴るモノ」という感じでしょうか。

しかし現在の「かわいい」の言葉の範囲は、
上記のような捉えかただけでなく相当多様性の高いものだと思います。

例えばひとつのエピソードとして、
私がそもそも「かわいい」という言葉に興味を持ち始めたのは、
女子の話を聞いていて、何でもかんでも「かわいい」で済ませている状況を見ていて、
「絶対!いまの“かわいい”は、お互い違うかわいいで話をしているよなー」と面白半分で聞いていたのが、きっかけです。

そこで私は、普通に女子が話しているところに
「それじゃいまの“かわいい”をどういう風にかわいいのかこの紙に書いてみて!」と実験をしたことがあります。
もちろんその答えは、まったく違った回答でみんなで笑った思い出があります。

まぁこのように、現在の「かわいい」は話を円滑にするために使われており、
その言葉の範囲は千差万別でありながらも、聞き手も特に混乱している様子もなく
「かわいい」は、まさに日本のハイコンテクスト文化に相応しい言葉だと私は思っています。

②「カワイイ」の辞書的意味

次ぎに番組では、「カワイイ」の辞書的意味について触れています。
日本の国語学者、国立国語研究所名誉所である飛田良文氏によると、
カワイイの由来は、平安時代の今昔物語に出て来た「かわゆし」がその語源で、
その意味は「可哀相」と述べています。

この稚児に刀突きたて矢を射て殺さむはなおかわゆし (今昔物語の一説)
⇒こんな子供を刀で突き刺し矢を放って殺すのはあまりに可哀想

また江戸時代に入り、
俳人の小林一茶の句で、「蝶飛んで かわゆき竹の出たりけり」や
江戸商人の慣用句で、「かわいい子には旅をさせよ。」と言うように
愛すべき」という意味で使われています。

そして明治時代に入ると、日本の小説家である国木田独歩の小説(酒中日記)の一説に
可愛い可愛いお露が遊びに来たから、今日はこれで筆を投げる」と
小さくて美しい」という意味で使われています。

これらをまとめると
カワイイは、
①平安時代 いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。
②江戸時代 愛すべきである。深い愛情を感じる。
③明治時代 小さくて美しい。

時代によって、どんどん解釈が増えて来ています
ただし、このように解釈が増えてはいますが、使用される状況だけは変わっていませんでした。

その状況とは、上の者が下の者へ使う場合に使用されていたと言うことです。
つまりカワイイは、以下のように

強い者⇒弱い者
大きい⇒小さい
親⇒子
男⇒女

上下関係の中で使われていたということです。

なので、現在のような感じで若い女の子が、
おじいちゃんを見て「かわいい」と言った場合、
その関係性(年下の女性⇒年上の男性)からでは成立しないので、
おじいさんに「このワシを馬鹿にしておるのかー」と怒られてしまう可能性があるということです。

それではどこから現在のような感じで、言葉の範囲が爆発的に多様化していったのかといいますと、
それは③の要点に繋がります。

③女性の社会進出により「カワイイ」が変貌

カワイイは、上記に書いたように、上下関係がある場合に使用できた言葉でした。

確かに私が小学生のとき(80年代中頃)には、「かわいい」は、
辞書に書かれているような範囲でのみ使われていたと思います。
なので、現在使われている「キモカワ」や「ブサカワ」なんて通じなかったと思います。

それでは、その分岐点はどの辺りかと言いますと、
1986年より施行された「男女雇用機会均等法」あたりでは?と番組では言っております。
この法案によって、女性の社会進出が世の中に広く認められ、
それまで、男性社会だったものが女性が社会に参画することで、
上司が女性だったり、女性が社長だったりと、
女性の社会的地位の向上によって、女性の感性が社会に注入され始め、
社会の構造が少しずつ変わり始めた、重要な分岐点だと言っています。

番組では、女性の社会進出により女性の感性が社会に注入されたことを、
さらっと言っていましたが、私はココの部分にもの凄く注目しています。

なぜなら、これからの社会において、女性の感性が凄く重要な力を発揮するものと考えており、
もっと言うならば、そこが女性の社会進出の意義だと考えているからです。

このことを少し丁寧に説明したいと思います。

まず前提として、女性は、男性よりも権力や地位、名誉といったことに対して、無頓着だと思っています。

それにより女性は、戦争や暴力といった男性の専売特許のようなもので、
それらをゲットしたり奪ったりしようと考えない生き物だと考えています。

したがって女性は、どちらかと言うと和を重んじたり、組織を大切にしたりと、
争いごとなく、穏やかに過したいと考えていると思っています。

一方男性は、ドラクエの「ガンガンいこうぜ!」のようにガンガン(攻撃的に)行ってしまう場合があります。

タイムリーな話ですと、本日、アメリカのオバマ大統領は、
イスラム国について「弱体化させ、最終的に破壊する」と宣言しました。

んー。確かにアメリカの「正義の鉄拳」のロジックも分からないわけではないですが、
これでは、刹那的な解決にしかならないとなぜ分からないのか?と思ってしまいます。

もし本当にイスラム国を最終的に破壊したならば、また近い将来、大きなテロが起きることでしょう。
これを解決するためには、ガンジーになるしかないのです。

しかしガンジーの非暴力主義は、現在の社会システムに組み込むことは相当困難で、
特に欧米人にはなかなか受け入れられないと思っています。

そこで、このような状況を何とかするには、「女性の感性」が必要なのです!

話が少し変わりますが、
ここ数年で様々なジャンルで「おネエ系」と言われる方達が活躍し、
また音樂やファッション、アートといった表現の世界では、昔から「ゲイ」が多いと言われています。
確かに友人のバンドの打ち上げなどに参加したときに、数人のそう言った方達を見ることができます。
(私もたまに間違われることがあります「どんだけー!」ヽ(´o`; カンベンシテヨー)

つまり彼女(彼)たちは、「女性の感性」を持っているので、
現在のニーズ(平和主義)にマッチしているからだと私は考えています。

今後ますます社会は混沌とし、どのような優秀な人であっても判断することが大変困難な事象が数多く発生し、悲しいことが多い世の中になっていくと私は思っています。

そこで必要なのは、争いごとなく穏やかに過したいと考えている女性の感性が、
これからの社会において、凄く重要な力を発揮するものだと考えており、
そのことが女性の社会進出の意義だと私は考えている訳です。

少し話が横道にそれてしまったので本日のテーマである「かわいい」に話を戻しますと、

「男女雇用機会均等法」によって、女性が社会進出しやすくなったことで女性の社会的なパワーが上がり、
これまで「カワイイ」は男性から女性に対して使われてきたものが、
女性から男性に「カワイイ」を言ってもOKになってきたと言うことです。

そして最後の「カワイイとは?」の結論に入ります。

④カワイイとは?(結論)

この番組は、外国人のレポーターが日本語の「カワイイ」とは、どういう意味なのか?
そして「カワイイ」はなぜ世界を夢中にさせるパワーがあるのか?といった疑問からはじまり、
様々な観点でレポートをする中で、面白い実験を行ったり、専門家などの話を聞いたりして、最終的な結論を導き出して行きます。

その最後のレポートは、現在の「カワイイ」の象徴である、
ファッションモンスターのきゃりーぱみゅぱみゅに以下の2つ質問をして締めくくっています。

きゃりーぱみゅぱみゅにとって
①カワイイの基準は何?
②カワイクないものは?

①の質問の主旨は、「カワイイ」の最前線の人は、「カワイイ」をどう捉えているのか?というものだと思います。
そして②の質問の主旨は、「カワイイ」の反対語を質問することで、その答えの反対が「カワイイ」の意味というものだと思います。

きゃりーの回答は、以下になります。

カワイイの基準は何?

  • 基準は人それぞれ
  • 自分がカワイイと思えばカワイイ

これらより、きゃりーも「カワイイ」は自己表現だと捉えているといえます。

カワイクないものは?

  • 相手を傷つけるような事はカワイクない

と答え、その後に
私にとって「カワイイ」は、
世界中の人たちがハッピーになれる言葉で、明るい気分になれる!
と答えていました。

流石、ファッションモンスターだけあります。
きゃりーにしては、100点満点の答えだと凄く感心してしまいました(*^-^)b

またアートディレクターやショップ「6%DOKIDOKI」のプロデューサーでもある
増田セバスチャンにも「カワイイ」の捉えかたについての質問をし、
その回答は、以下のように答えています。

世界的に見ると戦争やテロといったものがなくならない中で、
日本の人たちは自分だけのカワイイものを作りながら
未来に向かってカラフルに走っている
そういうのがスゴク世界中に注目されている

下から2行目の「未来に向かってカラフルに走っている」と言う部分とても素晴らしい表現だと思います。

以上より「カワイイ」とは、

男社会の時には、上下関係がある場合に使用され、いわゆる辞書の範囲内で使用されていたが、
男女雇用機会均等法の施行後、女性の社会的なパワーが上がり、
争いごとなく穏やかに過したいと考えている女性の感性が注入され、
それまでの言葉の範囲が爆発的に多様化し、
現在、この言葉の根底にある本質は、
誰も傷つけず人を幸せにする魔法の言葉」というような形で番組は、結論付けていました。

まさにその通り!と私も納得の結論です。

最後に私の考えとしまして、

「かわいい」は、上記でもあるように女性の感性が注入されたことによって、
現在の多様な使われ方になっているとは思いますが、
それでは仮に「かわいい」が日本語ではなく、
諸外国の言葉だったら、現在のように変貌したのでしょうか?

私は、そうならなかったと思っています。

なぜなら「かわいい」の本質が、「誰も傷つけず人を幸せにする魔法の言葉」であるならば、
それは日本が育んで来た「おもてなし」や「人への気遣い」、「配慮」といった目に見えないヴァナキュラー(土着的なモノ)があったからこそ、今のような表現になっていると思うからです。

また今、カワイイはなぜ世界を夢中にさせるパワーがあるのか?の私の考えとして、

それは外国人たちが、日本人に対して、「震災時の日本人の振る舞い」や「日本人のモラルの高さ」を評価しているように、「かわいい」の本質(誰も傷つけず人を幸せにする魔法の言葉)を外国人も実は、ちゃんと理解しており、現在の、不穏な社会情勢に対する「希望の言葉」なのではないでしょうか?

つまり「かわいい」を通して日本人は世界から期待されているんだと私は思っています!

したがって、今後の日本の進むべき方向性は、「かわいい」を経営理念でいうところのてっぺんに掲げ、
それに向かって戦略を策定して行くべき!と半分ジョーダン半分本気で私は考えています。

キティフラッグ

ということで、本日の日記は以上となりまーす(o^∇^o)ノ

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